昨日のエントリーのお返事、その他。

えーっと、昨日のエントリーは、ここ最近目にした出来事やら記事やらなんやらを、半分、自分自身で整理する意味もこめつつ無理やりまとめた文章でして、こんなにとっ散らかった文章がこんなにブクマされたりコメントいただくことになるとは思っても見なかったので、ちょっとびっくりしています。っていうか、逆にこんなだからか。
コメントへのお返事させてもらうと、まさにそういうところでわーって一人行き詰まっている人に対して助け舟を出すとしたら別の概念を持ってくるしかないということで、昨日のタイトルの言葉を出したわけなんですね。多分お二方とそれほど違う意見をもっているわけじゃないと思う。あと、いじめは法律逸脱してると思う。
で、皆さんのコメント見たりして思ったことが2点。(以下、私は教育関係者でもなんでもないし、子どもが居るわけでもないので個人の体験と感覚だけで書きます。その点踏まえた上で。)
一つ目は、いじめられた子が取れる実効性のある「手続き」というのがあるのか、という事。
もう一つは、いじめられている子がそのいじめられている状態を自覚するのは実は難しい事なんじゃないか、気づいたときには相当のっぴきならない状態になっているんじゃないか、ということなんですが、「いじめ」という概念がメタであるということと「原因と結果」に囚われるいじめられっ子という2点からの説明を書きだしてみたものの、頓珍漢なこと書いているかもしれないのでやめます(自分の過去の体験を説明できるんだけど、それが一般化していいものなのかわからない)。「時かけ」の高瀬君は外から見るといじめられているようにしか見えないけど、はたして高瀬君はそう思っていたのか、みたいな話。いや、いまさらなことかもしれませんけど。