「法律に反しなければ何をやってもいい」ということを教えないからいじめはなくならない

タイトルでちょっと煽ってみました。一度、やってみたかったの。
これらの記事見てちょっと思ったこと

「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。 - 想像力はベッドルームと路上から
404 Blog Not Found:大学行きたかったら高校行かなきゃいいのに

基本的に日本って、「部分最適なところからのアプローチ」が考え方の根本に有りますよね。なにしろ日本一の企業がトヨタですから。だから、いじめ問題が起きたときに個人のこころの問題みたいな所にすぐ行ったり、あるいは「連帯責任」みたいなものを導入しても、「全体最適からのアプローチ」を教えてくれるわけじゃ無いので、なんだかとっても理不尽な物になるわけです。
さらに、部分最適が働くためには、各々が各々に対して問題意識を持たなくてはいけないわけですが(それこそ現場のカイゼンです)、いじめという問題に直面したとき一番問題意識をもっているのはいじめられている本人であり、後の人は0かマイナスなわけなんですよね。そんなわけで、結果的にいじめられている人だけがどんどん追い詰められるということになってしまう、と(「いじめられる側にも責任がある」の論理に自らはまってしまう)。
だから、今すぐに必要なのはいじめられた時の「手続き」を教えることじゃないかと思うんです。教室に行かなくてもいいから保健室にいけとか、ほかのクラスに異動することもできるよとか。で、それを例外じゃなくて正当なルールの上の行動だってちゃんと位置付ける、と。
以前、Webやぎの目で「手続きができる人がいちばん強い」という話を読んで感心した記憶があるんですが(これって裏を返せばタイトルの「法律に反しなければ何をやってもいい」ってことですよね)そういう事を後ろめたいことじゃないんだって教えることが、少なくともギリギリのところに立っている子にとっては心強い味方になるんじゃないかなぁ、と思うのですが。