「マイマイ新子と千年の魔法」という「環境ノイズ」映画

たまごまごさんをはじめとするこの映画の紹介記事を見てちょっと気になって、ひょっとしたら上映がもうすぐ終っちゃうかもしれないみたいな雰囲気だったので見てきたんですけど、いや、非常に良い意味で裏切られました。そんなこと聞いてないよ!みたいな。
「環境ノイズ」という言葉があります。過去海だったとか川が流れていたとか大昔栄えた都市があったといった、その土地の過去の歴史が、ぱっと見不自然な空き地や段差、曲がりくねった道路などとして現在の風景にまるで「ノイズ」のように現れているようなものを指す言葉だそうで、提唱されている建築家の宮本佳明さんが著書「環境ノイズを読み、風景をつくる。 (建築文化シナジー)」で実例を挙げてまとめられて解説されています。
もっと、わかりやすい具体的な例を挙げれば、NHKで木曜夜に放送されている「ブラタモリ」で取り上げられる対象こそ「環境ノイズ」の最たるものでしょう。そして、この「マイマイ新子と千年の魔法」、ついに「環境ノイズ」が文芸作品になってしまったという気がします。
作品の冒頭、新子はおじいさんに、麦畑の合間を流れる川が直角に曲がっているのが、遥か昔、山口県防府市が「周防の国」と呼ばれてた頃の道の名残なんだという話を聞かされます。そしてそのことを知った新子はその当時の往来に思いを馳せるのですが、その思考回路が具現化するように、当時の往来の風景が今の風景に次々オーバーラップされて行くんですね。この演出は「ブラタモリ」の中で当時の町並みを表現するCGのカットを彷彿とさせるのですが、そこは流石アニメーションというか、遥か上を行く非常にドラマチックなシーンになっていまして、なんというか、もうそこで泣けてきました。
前述の本を読んだときに感じた、日常に広がる雑多な風景をきちん注意深く見て行くことで想像もしないような歴史等が見えてくる感じというのは、ラジオのチューニングをするときにダイヤルをまわして行くとノイズのなかから突然放送がフッと現れる感じに似ていてるなーと思いました。で、この作品で繰り広げられる新子の空想って「タイムスリップ」してるというよりもむしろこの「ダイヤルをまわしてチューニングがぴたりと合う感じ」に似てるんですよね(おでこの「マイマイ」はきっとアンテナだ)。さらに言えばこの作品では転校生の貴伊子やタツヨシといった登場人物すべてに関してこのチューニングがピタリと合う瞬間がきちんと描かれてるように思えて、それが表面上それほどの事が起きてるようには思えないんだけど得体の知れない何かが満ち満ちてるなんだか非常に心地よい作品となっている要因なんじゃないかなーとか思うのです。
とりあえず、もう1回どうしても見に行きたいなーと思うのですが、僕の住んでる辺りでは本当にいつまでやってるか分からないので(県内で上映館1カ所で、しかも朝1回だけという)明日またいっちゃおうかとかいう勢いですが、このブログをみてご興味を持ったかたいらっしゃいましたら、どうぞお早めに。「ドボク系」の趣味をお持ちの方ならきっとこの面白さはご理解いただけるんじゃないかなーと。昭和30年台の田舎が舞台のノスタルジー映画だと思って食わず嫌いするのはかなりもったいないと思います。っていうか、パンフレットみたりするとなんか売り方がまさにそんな雰囲気だけど、これ絶対損してるよなぁ。

環境ノイズを読み、風景をつくる。 (建築文化シナジー)

環境ノイズを読み、風景をつくる。 (建築文化シナジー)

マイマイ新子と千年の魔法  オリジナル・サウンドトラック

マイマイ新子と千年の魔法 オリジナル・サウンドトラック

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