「ウェブ時代をゆく」からわからなかったこと

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

「ウェブ時代をゆく」欲しい!キャンペーンに当選して(しかも梅田さんのサイン本)本が届いたものの、応募条件の感想を書いてないうちに12月になっっちゃってまずいなーという気がしてきたので書いてみる。
2年くらい前にはてなブックマークが登場したとき、「注目のエントリー」をチェックすることで今までとは比べにならないくらい多種多様な情報が目の前に現れて僕の中のネット感が一変した記憶がある。そのあとLivedoor Readerを使い始めた時にも同じようなことを思ったのだが、本書で述べられている『「流しそうめん」型情報処理』というのはおそらくこのあたりのツールによってもたらされた情報環境のことを言っているのだと思う。
で、このあたりのツールが出てきてしばらくたってからポツポツと聞こえてきた言説に「情報の洪水に押し流されているようだ」とか「情報に振り回されているような気分だ」というのがあって、僕もそれは確かに感じることである。
そうめんが半分に割った竹の上をちょろちょろと流れてくるのであれば箸でちょこんとつっつけば簡単に取れるし、取り逃がしてもどうってことはない。ところが、現状は増水した利根川の濁流を数十トン単位のそうめんが上流から押し寄せてきているような印象を受ける。取ろうとしてちょっと足を滑らせたら濁流に飲み込まれるし、手をこまねいていれば何人前なのかよくわからないそうめんが目の前を通り過ぎていってしまって、ただもったいないというかなんというか。
そのあたりの選びとる基準となりそうなのが、本書で述べられている「ロールモデル思考法」なのかなーと思うのだが、ただそれもこの膨大な情報を活用することに立脚した手法であるように思え、結局「大量に流れてくる情報に耐える能力」というのは、「ウェブ時代」の基礎的かつ重要な能力ということになるのだろうか。
なんてことを漠然と考えてたんだけど、今日はてブされていた梅田さんとまつもとゆきひろさんの対談を読んでたら

梅田 最近思うのですけど,大量の情報が押し寄せること,それによって自分の人生が規定されてくるみたいな感覚がある。

なんて書いてあって、濁流の中に飛び込んでそうめん踊り食い、みたいな有り方にならざるを得ないってことなのかな、なんて思った。