無自覚な権力

僕にとって八ッ場ダムの話って、もうダムの事なんかどうでもよくて「水没地の住人」に対するの世間の人の捉え方に対してショックをうけたというかそこが大きなところを占めるようになっています。
たとえば、ダムを建設する場合にどうしてもそこの住人に立ち退きをしてもらわなきゃならないんだけど、どうにもコンセンサスがとれなくて行政代執行で立ち退かされるなんていうことがあったとします。おそらく、そういう場面で厳しい批判の声をあげそうな人が、今回、長野原町で声を上げた「水没地の住人」に対して「既得権益」やら「ヤラセ」といったレッテルを貼付けて片付けようとしている。
工事が遅れに遅れて長い年月待たされたのにあえて水没地域にわざわざ残ったってことは、その土地がどういう性質のものなのかっていう事が非常に影響を持つ流動性の低い立場にある人だって(川原湯温泉という観光地が水没するのですからそういう立場の人が多いでしょう)わかりそうなものなのにそこを見ないようにして、まるで体制に打ち勝ったみたいに喜んでる。
でも、今回の「八ッ場ダム」って権力の公使によって中止にさせられてる訳ですよ。それなのにその権力を認識していない人が多すぎると思う。そこが凄く怖い。翻って僕もそういうことをいままで無自覚にやっていたんじゃないかとかあれこれ考えだすと、なんというか、凄く怖い。