手乗りポッド製造日記(四日目)

今日の手乗りポッド製造実績(三日目) - 「まずまずのダム日和」から続きます。
今日朝起きたら雪が積もっていた。

群馬の平野部は北部の山間部と違って基本的に冬雪が降らないのでびっくりである。しかも南岸低気圧じゃなくて強い冬型の雪。どんだけ爆弾低気圧なんだ。
で、まあ、せっかく降った雪でこれはなにかしないと、…やっぱりあれを作るしかないかなということで、なんとなく遠ざかっていた手乗りポッドを雪で作ってみる事にしました。

まず、例のごとくペーパークラフトを組み立てて

今回はこんな風にカッターを入れて

型を二つに分割してみた。

外へ出て、雪を詰め込んで

二つを結合。雪は圧力を掛けると固まってしまって変形しにくくなるし、型は紙だからあまり強い力掛けられないしとこれはこれでなかなか難しい。そんなこんなで型を外してみたら、

こんなの出てきました。詰め方が甘いのかがたがたしてますがまあしょうがない。で、セメントと違って型がそのまま残っているので繰り返し使ってみたのですが、

4つほど作った所で型がヘタってしまったので終了。

整形に甘さがかなり残ります。テトラポッドというよりどことなく「たこさんウィンナー」を彷彿とさせる。

組んでみましたが、白すぎてよくわかりません。いや、形が悪いのが原因か。

いままで作った物を全部並べてみました。無駄にずいぶん作ったなぁ。

セメント製の手乗りボッドを混ぜればいけるかと思ったけど、雪景色のテトラポッドになっただけ。
というわけで、紙の型を使ってあれこれやってみたのだが、こういう物をいざ作ってみるとなかなか思うようにいかない物である。「時間が経つと固まる物を型に流し込めばその形の物が出来上がる」というプロセスを言葉で書くのは簡単だが、きれいに隙間無く型に流し込むのは難しいし、紙の型は刻一刻とへたり込む。こういう事を1つ1つ解決した無数のノウハウの上に、身の回りにある土木構造物は立っているのだろうなぁ、と思った。
まず、型の材質を考えた方がいいですね。

「伊集院光・日曜日の秘密基地」3月で放送終了

今日のスペシャルウィークの特番、なんか最終回みたいな内容だなって聞いてたら番組最後に放送終了の告知。もうこのままずっとTBSの看板長寿番組として続くんじゃないかと思っていただけにあまりに突然であっけなく告げられたこの知らせをまだうまく消化できないでいる。
伊集院光のラジオを聞き始めたのは高校生の時、TBSラジオのUP'Sからだ。さすがに平日3時まで起きてるのは次の日厳しいのでテープやMDに録音して社会人になっても聞いていたんだけど、でもそれも2002年くらいまでだったと思う。たしか「変死体」のCDの企画くらいまで、「若手芸人」が沢山出だしたころからなんとなく面白くなくなって聞かなくなったような覚えが有る。
だから番組の放送開始から聞いてる日曜大将軍・日曜日の秘密基地の方がおそらく長い期間聞いていたことになる訳で、僕の中での伊集院光像はこの番組の伊集院光になっているような気がする。
伊集院光を評する言葉としてラジオの「黒伊集院」とテレビの「白伊集院」という表現が有るが、秘密基地の伊集院光はそのどちらでもない「日曜日の秘密基地伊集院光」という感じがあってそれがものすごく好きだった。ちょうど学生の頃聞いていた「黒伊集院」としか表現できないようなの頃の猛烈エネルギーを燃料に上手に燃焼させてエンジンをまわしてるといった感じで、むやみに高出力ではあるけど静かで安定した走りに毎週魅せられていた。でも、それに飽き足らなくなったということなのだろうか。今日の放送中「30くらいの時がピークだった」みたいな事を言っていたから、燃料の残量が気になりだしたという事なのかもしれない。
ともかく、秘密基地を終わらして馬鹿力1本に注力するらしい。そのチャレンジがどういう事なのか、どういう風になるのかよくわからないし、僕の好みのベクトルと果たして同じ向きなのかよくわからないけど、まあまた久しぶりに深夜の馬鹿力を聞いてみようかな、とは思った。