富岡製糸場に行ってきました

群馬県富岡市にある旧官営富岡製糸場が、11月5日から13日まで内部の一般公開を実施する、という上毛新聞の記事を見かけ、初日の5日に行ってきました。という訳で、レポートです。

国道から1本路地に入ると突き当たりにれんが造りの建物が見えます。

これが正門、出入り自由です。入ったところの看板に写真撮影禁止と思いっきり書いてあったので、えっと思って受付の人に写真撮影してインターネットにアップしていいかどうか聞いたら、個人的なサイトなら問題ないとの事。良かった。

という訳でレンガの建物のアップ。この建物は「東繭倉庫」と呼ばれていて、生糸の原料となる生繭を保管するための倉庫になってます。

中央アーチのてっぺんには操業開始の年「明治5年」の刻印。でも、100年以上を経たとは思えないくらい奇麗です。
で、うろうろしているうちに解説ツアーの時間になったので集合場所に居た解説員さんの後を付いて行く。

アーチ左のガラス窓。場内のガラスはほぼ建物がたてられた当時のガラスがそのまま今も使われているそうで、近づいて見ると波打ってるのが分かります。

倉庫は木造レンガ造り、レンガを縦横に組み合わせ漆喰で固めてある。で、よく見ると所々に

こんな作った人の屋号がほってあったりします。

アーチの下を抜けると繭を乾燥させる建物があります。この建物が繭の入荷口になっていて農家の人はここまで繭を運び込んだそうです。ここで機械により乾燥させられた繭は先ほどの倉庫に運ばれ自然乾燥され、生糸に加工されるのを待つことになります。

富岡製糸場には先ほどの倉庫のほかにもう一つ「西繭倉庫」と呼ばれる生繭の倉庫があります。東倉庫の向かい、中庭をはさんで作られていて構造は東倉庫とほとんど同じとの事(ただ、中央のアーチは有りませんが)。現在はご覧のように立ち入り禁止となっていて遠くから眺めるだけになっています。ちなみに、昔は中庭で盆踊り大会とか開かれていたそうな。

これが東繭倉庫の内部です。丁度この日は、講演会が開かれてました。一通り見学を終えたあとにまだ講演をしていたので途中から聞いた話なのですが、この富岡製糸所はどちらかというと研究所的な色彩の強い施設だったそうで、ここで実証された技術が各地の生糸生産の現場で用いられたという事です。生糸の生産では何度かターニングポイントがあったそうですがそこで富岡製糸所の果たした役割が語られていて興味深かったです。

さて、また正面に戻って今回最大の見所である繰糸場へと見学の一団は進みます。写真は途中にあった渡り廊下の奥にある鏡。中で働いてた女性が毎朝ここで身だしなみを整えてたわけです。なんでも毎日きちんと髪を結って袴姿で仕事に当たっていたという話。確かに、展示しある当時を伝える写真や絵を見ると確かにみんなそんな姿をしてました。ちなみに、鏡、ものすごくピカピカです。

いよいよ繰糸場内部にはいります。ここに入れるのが今回の目玉です。

ここで、繭から生糸を作り出します。現在繰糸場内部にあるのは戦後導入された自動繰糸機(日産と合併したプリンス自工製)で、操業当時の繰糸機は長野県の博物館に展示されてるとの事。ちなみに動かせばまだ動くそうです。この工場自体も昭和62年まで操業していたそうで、いろんな意味でびっくり。

ちなみに、この建物内に繰糸機は10台あるそうです。

ここで働く人達は敷地内にある宿舎で寝泊まりする訳ですが、その人達向けの診療所があります。

で、隣にある隔離室。結核対策というわけで。

一番奥にあるのが、ブリューナ館。フランスから来た外国人技師のブリューナの為の建物。地下にはワインを著時蔵する為の地下室が現存してるとのこと。

後の時代では、中で働く若い女性の為の学校「片倉富岡高等学園」として使われた事もあるそうで、こんなプレートがぶら下がってました。

そんなわけで、今回公開された主な場所を紹介してみました(この他にも見所は結構あるのですが、ビデオに良く撮れてなかった…)。今回はじめて現地を訪れたのですが、整備のされ方に正直驚きました。ガラス窓は透き通っているし壁や梁のペンキは白く、床はピカピカに磨き上げられていて、まるで、今も使われているんじゃ無いかという様な雰囲気を漂わせているようでした。別の時代に来ちゃったんじゃないかというような感覚すらしてちょっとクラクラ。(いくら人を中に入れないとはいえ)これだけ、奇麗に保つのは並々ならぬ努力があってのものだろうなぁ、と思います。現在、この富岡製糸場を含めた県内の養蚕関係施設をひっくるめて世界遺産に登録しようという運動が繰り広げられているそうで、その力の入れ具合がこの保存状態に現れているんだろうなぁと感じたのでした。
で、おまけ。


富岡製糸前の通りに建っていた、なんかかわいい建物2つ。