長野原町民が八ッ場(やんば)ダム中止問題の矢面に立たされている3つの理由

民主連立政権八ッ場ダム中止問題を正しく理解する為の大前提の知識(9月28日追記)

  • 八ッ場ダムは東京都・千葉県・茨城県・栃木県・埼玉県・群馬県の1都5県の治水や利水などを目的として群馬県吾妻郡長野原町利根川水系吾妻川に計画され現在建設中です。
  • 2009年8月30日に行われた総選挙により民主連立政権が誕生し、前原国土交通大臣により中止が表明されました。
  • 八ッ場ダムの受益者である各都県は現在も八ッ場ダムを必要だとしており、各都県知事は中止撤回を主張しています。
  • これらのダム建設推進や中止を決める行政上のプロセスに対し、ダム建設地点である長野原町は関与出来る法的な権限がありません
  • 「地元の理解を得るまでは中止のための法的手続きを行わない」というのは、前原国土交通大臣の行政上の判断です。

ひょっとして、長野原町が反対しているからダム事業を中止に出来ないと思っている人が居るんじゃないかということに気づき、9月28日に追記しました。長野原町がいかに騒ごうが、1都5県と国の同意があれば建設でも中止でもできてしまうのです。

もう関わらないぞーとか最近書きましたが、駄目だ。我慢出来ない(ダムマニア的に)
というわけで、いやー、この問題が世間的にこんなに大々的に取り上げられる事になるとは1ヶ月前には想像もしませんでした。現内閣発足以降、ニュースでこの話が伝えられないことは無いですし、「八ッ場ダム 地図」で検索してくる人でDamMapsのアクセス数は跳ね上がるし、川辺川ダムや大戸川ダムの建設凍結や中止の時とあまりの違いにびっくりですよ。ほんとに。
で、ニュースの中で多くの時間を占めているのが、ダムサイトに当たる長野原町の住人を取り上げた内容。ただ、現地の住人ってダム事業で迷惑を被る人であるものの、事業の当事者とはいえないと思うんですよね。それなのに建設推進の矢面に結果的に立たされてどうやら酷い目にあったりしている。あるいは、ダム中止に賛成を唱える方面からは「偏向報道だ!」って声があがったりとか。でも、こんな現状というのは今の日本の社会に置いて「ダム事業」という物がどういうポジションにあって今回の中止がどのような事を意味してるのか、っていうのが端的に現れてきた結果なんじゃないかなと思うんですよ。
で、タイトルの通り、マスコミがなんで長野原町民ばっかり写すのか3つ理由をあげさせてもらって解説しつつ、あれこれ語らせていただこうかな、と思います。

1.ダムに水没する地域の住人が賛成してる

下世話な話で「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる」なんてフレーズがありますが、「蜂の巣城」の下筌ダムや「ひぐらし」のモデルで実際熾烈な反対運動があった御母衣ダムなど、ダム建設事業と言えば水没地域の住人が大々的に反対運動を繰り広げるイメージというのは誰もが持っているのではないかと思います。そんな「中止」を渇望している「はず」の住人が、怒りの声を上げ中止撤回を求めるという構図は報道する立場の人にしてみたらおそらくそれだけでニュースバリューがあると思ったに違いありません。
でも(あくまで僕が知っている限りの知識という前置きを置いた上で)現在行われているダム事業の中で、そういった構図の反対運動が残っている事業というのはあまり無くて(長崎県佐世保市の石木ダムくらいじゃないか)もっと別の構図によって反対運動がなされているというケースが多いように思えます。
これは90年代後半から2000年代初頭にかけて長期化して停滞していたダム事業が軒並み中止になったからという事が大きいんじゃないかと勝手に思っているのですが、世の中的にはそんな事は全然伝わってなくて、この長野原町民の存在をどう扱ってよいのか日本中で悩んでるように思います。無理矢理落としどころを作ろうとしてか「町議が一般町民のフリしてインタビューを受けていた!ヤラセだ!」的な話が出て来たりしてますけど、どう考えても本質的なところじゃ無いはずです。もっと悩め。

2.利水や治水の話は専門的すぎて難しすぎる

ダム建設はただ作れそうなところに作っちゃえというわけじゃ当然なくて、そのダムのアイデンティティになるであろうバックボーンというべき計画が存在します。治水の場合は想定される最大の洪水(よく100年に1度の洪水とかいわれるあれです)によって水系全体がどうなるかというモデルがあり、それに対しての技術的な対処として堤防の高さが決められ河道が整備されダムが造られる訳です(当然この上に、例えばダムの場合は作れる場所・作れない場所みたいな制約条件が加わって最終的な計画になる訳ですが)。
利水の場合も同様に昔から水を利用しようとする関係者が多大なコストを費やし積みかねられて来た上に現在の水利権が有る訳ですが、僕も専門的すぎてよくわかんない!ただ、「無駄なダム」という話をしようとする場合、これらのモデルや対処法に対して「この辺りに問題があってこうしなきゃいけない」という具体的な話があって初めて意味がある指摘となるわけなんですが、現状すぐ使えるような指摘って反対してる人たちが公表しているような資料しか無いんですよね。で、それそのまんま出すのって公平性としてどうなのよみたいな事になるしそもそもその主張って裁判負けてるし、みたいな所で結局あまり触れられず、あんな事になってるところはあるんじゃないかと思います。

3.現内閣から具体的な中止の理由も、代替案も出て来てない

僕がニュースを見逃しているだけなのかも知れないし、本当は記者会見で説明しているのかも知れませんが(どうでもいいけど、大臣が変わってから国土交通省のサイトの記者会見のページが更新されないのはなんでなんだろ)、前原大臣から「マニフェストに記載されている」以上の理由を耳にした事がありません。23日の現地視察の記者会見のやり取りが24日の上毛新聞に掲載されていたのですが

―建設費の費用対効果を再検討する予定はあるか。
今のところ考えていない。今後、ダムによらない治水はどういうものがあるかを検討したい。

―どうして八ッ場ダムが中止なのか。
やめた方が費用がかかるという話があるが、維持管理費や水質汚染、生態系への影響なども含めてトータルで考えれば完成させる方が費用は高くつくと思っている。工事価格以外の数値では計れない部分にも目を向けてほしい。

と、こんな感じで「八ッ場ダムを中止する」という理由として具体的な中止理由が読み取れないわけです。治水・利水上無駄なのか、ダムという手法を問題にしているのか、その全部なのか。漠然としたイメージは語るのですが具体的な話に全然踏み込まないんですね。
で、「中止の理由」という「課題」が提起されていないのですからそれに対処するための「代替案」が出てくるはずがなくて、ニュースの中で前項のような内容に付いて議論しようにも、どうにもできない。だから長野原町民を写すしかなくなるんじゃないか、と。っていうか、理由も分からず中止とかいわれたら地元の人そりゃ怒るよなぁ。
僕は一マニアとしてこの問題の動向を半年くらい見て来たのですが、率直な感想として前原さん(というか民主党)はかなり軽い気持ちで中止を打ち出したんじゃないかなぁ、という気がします。民主党のマニフェストをご覧になると分かるのですが、八ッ場ダム中止というのは財源を捻出する為の手段の代表例として書かれていたんですよね。おそらく今言われているような「サンクコストがどうのこうの」みたいな事は考えていなかったんじゃないか、と。で、今更そこがどうだという話は別にしませんが、いま必要なのは中止という決定をするに至った事に対する具体的な話じゃないかと。そこが決定的に欠けているような気がします。補償の話でごまかそうとするのは逃げだぞと、声を大にして言いたい。
去年、熊本県の蒲島知事が川辺川ダム建設の凍結を決めたとき、県議会でどのようにしてその決定をするに至ったか演説を行いました(川辺川ダムについて / 熊本県)。僕はこれを名演説だと思っています。
今後全国の140ものダム事業を見直すという事も伝えられている中、ここで何が出来るかが前原大臣の今後を決定づける事に確実になるであろうと思っています。

2009年9月27日追記

追加のエントリ書きました。

追記(長野原町民が八ッ場ダム中止問題の矢面に立たされている3つの理由について) - 「まずまずのダム日和」

今するべき議論は「一般名詞『ダム』」の議論でも「『市民団体』が『反対』する『八ッ場ダム』」の議論でもなく、「『民主連立政権』が『中止』する『八ッ場ダム』」の議論なんです。その部分が日本中で圧倒的に欠けてる。これはどう考えてもおかしいと思う。