藤沼ダム決壊事故まとめ

津波の猛威と原子力発電所の事故が連日報道されていて埋もれてしまっていますが、今回ダムでも痛ましい事故が起ってしまいました。関連する情報があまり無いためまとめておこうと思います。随時更新する予定です。
地震に対してダムは非常に堅固であり、この10年程の間にも大きな地震が度々起きてますが、それによって深刻なダメージをうけるような事態は発生しませんでした。また僕の知る限り、国内で人命に関わるダムの決壊事故というのは聞いた事がなく(日本のダム事故-Wikipedia 日本のダム)おそらく戦後最悪のダムの事故になるのではという気がします。
藤沼ダムは灌漑用のアースフィルダム(土で出来たダム)で、ダム便覧によると着手年が無記載で1949年に竣工したダムのようです。こういったダムの場合、戦前から存在していた溜め池の土堰堤に、戦後かさ上げ工事などを行っていまの姿になったダムが多くあり、このダムもそのようなダムかも知れません。(このダムに関してはどうやらそうではなさそうですので、消しておきます。5/16)
また、農水省の資料に、「長年水不足に苦しんでいた旧長沼・桙衝・稲田の1町2村の人々が、主に人力で築き上げたもので、昭和12年に着手し、12年の歳月を経て終戦直後の昭和24年に完成」という記述があります。
阪神大震災以後、堰堤の耐震性について調査や補修が各地で行われましたが、このような事態になってしまうと、ほかにも全国にある同様のアースフィルダムは大丈夫なのだろうかと不安になります。
なお、今回の地震によるこのほかのダムについて大きな被害は無かったようです。(3/24 修正)

ニュース記事

asahi.com(朝日新聞社):内陸部のダムも決壊していた 福島・須賀川、7人が犠牲 - 東日本大震災
津波の被害が東北の沿岸部を襲ったとき、遠く離れた福島県の内陸部でも、濁流に多くの人がのまれていた。須賀川市西部にあるダム湖の決壊。7人が命を落とし、いまも1人が行方不明のままだ。

 須賀川市長沼地区にある「藤沼湖」は1949年、農業用のため池として造られた。高さ18メートル、幅133メートルのダムが水をせき止める構造。周囲に温泉やキャンプ場もでき、観光地としても知られた。

 下流の集落で農業を営む江連百合江さん(53)は3月11日、2度の大きな揺れに襲われ、2人の孫と裸足で家を飛び出した。すると、ダンプカーが近づくような音が響き、山の尾根越しに黒い水が渦を巻いて押し寄せてくるのが見えた。決壊したダムから流れ出た約150万トンの水が一気に集落に押し寄せた。隣の家は流木につぶされ、住んでいた小針トシさん(73)が亡くなった。

 別の集落にある二瓶美代さん(84)の自宅にも、1メートルの高さの水と流木が流れ込んだ。「2階に避難しようとしても上がれず、柱にしがみついた。35年住んでいて初めての恐ろしさだった」。一緒にいた友人は約10メートル流され、桜の木につかまって助かったという。

 14歳から89歳の男女7人が犠牲になった。1歳の男児の行方は今も分かっていない。住宅の全壊19戸、床上・床下浸水55戸。現場は流木と岩に覆われ、橋の欄干はもぎ取られた。水が流れ出た湖は干上がり、往時の面影を残すのは湖畔に咲くサクラだけだ。

 県によると、ダムは土を盛ってコンクリートブロックで覆って造られていた。老朽化で水が漏れたため、県が94年度までにセメントを注入するなどの改修工事をした。被災した住民によると、その後も「水が漏れていて耐震性に問題がある」と補修を求めていたという。

 命と家は助かった江連さんだが、農業機械が流されてしまって仕事ができない。「浜通り地方の津波被害が注目されているけれど、内陸部でもこんなにひどい所がある。原発災害と同じように、人災として補償してほしい」と訴えている。(山吉健太郎、竹谷俊之)

東日本大震災:老朽ダム亀裂で決壊か 死者不明8人 福島 - 毎日jp(毎日新聞)
東日本大震災で決壊した福島県須賀川市の藤沼湖は、震度6弱近い揺れで、盛り土でできたダム(高さ約17.5メートル)に亀裂が生じ、決壊につながった可能性のあることが、福島大などの現地調査で分かった。高さ15メートルを超すダムが地震で決壊したのは、1854年の安政南海地震満濃池香川県)が破堤して以来とみられる。藤沼湖は1957年のダムの設計基準制定以前に建設されており、専門家は老朽化したダムを中心に耐震性を再点検する必要性があると指摘する。

 藤沼湖は貯水容量約150万トンのかんがい用ダム湖で、1949年に建設された。「アースフィルダム」と呼ばれる台形状に盛り土をしたダムで、地元の江花川沿岸土地改良区が管理する。3月11日の地震直後に決壊し、湖水がほぼすべて流出。下流で8人の死者・行方不明者が出た。

 調査した川越清樹・福島大准教授(流域環境システム)によると、湖北東部の堤の長さ約130メートルのダムがほぼ全域で決壊していた。川下に向けて右岸の土がすべて流出しており、右岸から決壊が始まったとみられるという。「下流の集落では地震が終わってすぐに水が流れて来たという証言がある。巨大地震の強く長い揺れで亀裂が入って水が噴き出し、ダムが負荷に耐えられなくなったのではないか」と指摘。同様に盛り土で造った近くの羽鳥ダムでも地震後に亀裂が見つかった。田植え前で湖水位が高かったことも要因の一つと考えられるという。

 多くのダム建設に携わった芝浦工大の岡本敏郎教授(地盤工学)は決壊のメカニズムについて「地震でダムの堤体に滑ろうとする力が加わり、高さが下がった。そこに亀裂が生じてさらに水圧への抵抗力が減り、決壊に至ったのではないか」と補足する。岡本教授は「今回の地震で設計時に想定した以上の地震に耐えたダムが多くあるのも事実だ。特に古いダムについては、通常の耐震性以外にも固有の弱点がないか、細かく早急に点検をすべきだ」と指摘する。

【八田浩輔】

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110312t63012.htm
 須賀川市の藤沼ダム(高さ18・5メートル)が11日、決壊した。150万立方メートルの泥水が一気に流出。多数の家屋を押し流し、8人が行方不明となった。12日、現場に入った。
 須賀川市長沼地区。ダムに向かう道路や田畑は、泥とスギの流木で覆われていた。コンクリート橋は崩落し、倒木が林道を遮る。
 地元の無職男性(48)の案内で、道なき道の草木をかき分けて歩く。約40分。土を盛り、コンクリートで一部補強したダムは、過去最大級の地震エネルギーであっけなく崩れ落ちていた。
 男性は「地震の揺れが収まったら、ズドズドズドと、ものすごいごう音がした」と振り返った。
 後片付けに精を出す人がいる。川をぼんやり眺め、泥まみれの家の前で立ちすくむ姿も。
 「窓ガラスはすべて割れ、台所は全滅。手の施しようがない」。アルバイト女性(37)は、無残なマイホームを見詰めるしかなかった。
 市役所によると、午前9時ごろまでに、周辺で2人の遺体が見つかった。自衛隊や地元消防団約300人による懸命の捜索が続く。
(片桐大介)2011年03月12日土曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110313t63033.htm
福島県須賀川市にある農業かんがい用の藤沼ダムが11日、決壊した。流域の家屋5棟が流され、8人が行方不明に。12日午後3時までに4人の遺体が見つかった。
 決壊は地震直後だったという。泥流が流域の家屋や田畑を襲った。流されなかった住宅も流木に壁を打ち抜かれたり、泥流で家具が押し流されたりする被害に遭った。
 ダムの約1キロ下流に住む農業小川祐治さん(68)は「ガラガラガラと変な音がして自宅を出た。大木が一気に流れてきた。恐ろしかった」と振り返った。
 自宅の床上が泥水で浸水した無職男性(48)は「鉄砲水が来たので110番した。いくら巨大地震といってもダムが弱かったのでは」と話した。
 藤沼ダムは1949年完成した。えん堤は高さ18.5メートル、長さ110メートルで貯水量は150万立方メートル。土の堤の一部をコンクリートで補強していたという。
(片桐大介)2011年03月13日日曜日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110312-00000524-san-soci
福島県須賀川市に入った連絡によると、東北・太平洋沿岸地震で、同市内で決壊した藤沼ダムの下流で家屋が流された。7世帯の男女計8人が行方不明となっているという。同市や現地消防などは夜が明けるのを待って捜索を開始する。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110312-OHT1T00020.htm
福島県須賀川市によると、同市にある藤沼ダムが11日、決壊した。下流の家屋が流され、行方不明者が出ているという。
福島県のホームページによると、同ダムは1949年完工のかんがい用ダムで県が設置、地元の土地改良区が管理している。高さは18・5メートル。総容量は約150万立方メートル。

現地の写真

被災した堰堤の写真などが掲載。

ダム下流の様子

国土交通省によるダム周辺の空撮画像あり

「ORJ -日本の廃道- vol.60」の東日本震災関連の記事が無料公開。崩壊した堰堤などの鮮明な写真。

藤沼ダムの現地レポート
今の藤沼ダム - ダム便覧
周辺の石碑や看板などによる説明のまとめ
藤沼ダムはどんなダムだったのか - ダム便覧