レンガを焼く為のレンガで出来た窯を見てきた

土曜日夕方のNHKの関東ローカルニュースをぼーっと見ていたら「レンガづくりの窯が一般公開」というニュースが。ええっ、これって以前何かで聞いた東京駅とか碓氷峠のあの橋とかのレンガを作ったってとこじゃん!しかも日曜日も公開するってこれは行くしかないでしょ、という事で埼玉県深谷市にある日本煉瓦製造株式会社の煉瓦製造施設に行ってきました。

えーっと、JRの深谷駅です。レンガつながりで東京駅を模した感じにしたそうですが、なかなかなかなか…。

ちょっと引いた場所からもう1枚。きっと丸の内にレンガの馬鹿でかい建物が出来たのを見た明治時代の人が感じた驚きとかそういう物を今の時代の人も感じてほしいとかいう思いが込められているということにしておきましょう。ちなみに本家の東京駅は線路と平行に立っていますが、こちらは線路を跨いだ建物になっています。

さて、この深谷市ですが明治時代の実業家であり官僚でもあった人物、渋沢栄一の生誕の地でありまして、今日見学する日本煉瓦製造にも深い関係があったりします。
近代化を推し進める明治政府は「官庁集中計画」という近代的な官庁街を築き上げる計画を打ち立てたのですが、その為には西洋建築の主要材料であるレンガが大量に必要になります。ところが当時の国内には手作りの小規模な生産体制しかなくとてもじゃないけど需要に応えられない。ということで、機械を導入した大量生産を行える工場の建設計画がもちあがり、当時すでに実業界の重鎮であった渋沢栄一へと話が持ちかけられ、このレンガ製造事業が立ち上げられたそうです。

このあたりでは古くから瓦の製造が盛んであり良質な原料が確保出来る事、また需要地への運搬に利根川を利用した水運が利用出来る事といったことを知っていた渋沢栄一の意向が強く働いてこの場所に工場が作られたそうです。ちょうど埼玉の北部というのは関東平野で一番低い部分にあたるそうなのでなんかいろいろ堆積して良い粘土がとれるとか有るのでしょうか。

駅から歩いて40分ほど、視界にでかい煙突が飛び込んできました。これくらいなら全然余裕と思ってたのに思いのほか距離が有ってヘトヘトになってたので思わず駆け出したい気分に駆られました。体が異議をとなえて結局歩きましたが。

日本煉瓦製造会社のホフマン輪窯6号窯の煙突です。現存しているのはコンクリート製ですが、明治40年に作られた当初はレンガ製の煙突だったとか。

と、煙突から目を落としたらなんだこれ!

まさかの見学待ちの列が出来てました。物好き居過ぎ。まあ、もうちょっとしたらきっと空くに違いないとおもって先に別の場所を見ておこうととりあえず行列を通り過ぎます。

この場所には国指定重要文化財に指定されている物件が3つあって、一つ目が先ほどのホフマン輪窯、そして2つ目が現在は資料館として使用されている旧事務所です。

建築物の事はよくわからないですけど、うーん、この板壁、萌えます。この屋根についている星形のエンブレムが日本煉瓦製造のシンボルマークだそうで。

中では置いてある模型などを利用して、工場の解説が行われていました。この模型は工場の最盛期の時の様子を表した物だそうです。煙突のある建物がレンガを焼く窯ですね。現存している6号窯は奥に4つ並んでいるうちの一番右端にある建物です。

窯の様子を説明した模型です。窯の上に焼き上げる熱を利用して成形したレンガを乾燥させるための部屋が作られています。ちなみにこの模型は建設当初の物で、現在有る物とは違うとか。

レンガの成形の仕上げに使われた「たたき板」という工具です。この工具の付け根の部分を見ると

こんな風に押し印になっていて、完成品に押印されたそうです。刻まれた文字は時代によって違うそうですがこの工場の地名にちなんで「上敷免製」とか「日本」とかが使用されたとの事。東京駅のレンガを引っこ抜いて反対側を見てみたらきっとそんな文字が刻まれているはず。

それにしても外もいいですけど中もいいですねー。ということで1枚。

さて、この場所にある国重文物件3つ目、旧変電室です。明治39年に建設された建物だそうで周囲の町にはまだ電気が来ていない時代に「高崎水力電気株式会社」と契約し、工場内の動力を蒸気から電力への転換に踏み切ったとか。

この屋根のところから電線を引き込んでたのかな。この建物の内部は公開されてませんでした。

さて、いよいよ6号窯を見に行こうと外に出たのですが、明らかに列が長くなってる!こりゃ、はやく並ばないと大変なことになるぞと列に並びます。

かつて工場の敷地だった所には現在深谷市の施設として下水処理場やグラウンドが作られているそうです。ちょうど見学待ちの行列がある道路を挟んで反対側のこの建物が下水処理場です。壁面がレンガ風になってるのは、やっぱりそういう歴史的な経緯を表現してるのかな。

1時間ほど並んだところでやっと煙突が見えてきました。この大盛況ぶり、主催者も予想していなかったそうで土曜日に1300人訪れて、これはまずいとパンフレット増刷かけて準備して迎えた日曜日、午前中だけで1000人来たそうです。みんなNHKのローカルニュース見過ぎ。

窯の見学の前に工場の解説が有りました。ハンドマイク使ってたんですけどちょっと聞き取りにくかったのが残念。ちなみに煙突の下部に輪状の出っ張りがあると思います。この出っ張りの部分が建設当初の建物の屋根の位置だったとのこと。建物の上部は乾燥室として利用されてた訳ですが、レンガを建物の上部に持ち上げてってどうやってやってたんですかね。人力じゃあしんどそうだよなぁ。さっきの電力つかってたのかな。

入り口で配られたヘルメットをかぶり、いよいよ中に入ります。建物の扉を入る間もなくレンガで出来た窯が鎮座されていました。

窯の内部は幅4m、高さは2.6m。こんなアーチ状の空間がアルファベットのOの字型に作られていて、これが「ホフマン輪窯」の「輪窯」という言葉の由来です。白熱灯に照らされたレンガが非常に雰囲気があって良いのですが、手持ちで写真を撮るにはなんともかんともという明るさ。どうして三脚持ってこなかったんだと本当に悔やみます。

この輪窯を上から見た図がこれです。こんな風にO字型にした窯が18個に分かれており、順繰りにレンガを積んで焼成しては出来上がった物を取り出すということを連続して行っていくのだそうです。この方式によって焼成時間や燃料が節約出来て大量生産が可能になるのだとか。ドイツ人フリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を経た方式だそうです。

窯の上部に開いている小さい穴が燃料の粉炭を投入する穴。窯の上部から投入出来るようになっていて、焼き上がりを確認するときにも使用するとのこと(焼成によってレンガが縮むため、だんだん積んであるレンガの高さが低くなってくるのでどれくらい低くなったかで焼き上がりの具合を見る)。

窯の内側の下部に開いているこの穴、煙突につながっている排気口だそうです。普通煙突といったら上部についてそうなもんですが、なんで下なんですかね。聞きそびれた。

日本煉瓦製造株式会社は平成18年に自主廃業を決めて、120年の歴史を幕をおろした今は無い会社なのだそうです。平成19年に今回公開された国指定重要文化財の諸施設とその敷地が深谷市に寄贈されて、市としてはこれから活用方法を模索している所なのだとか。今回、見学会がこんな大盛況に終った事で、保存・活用に関してよい方向に向かっていったらいいよなー、と思います。今度はもっとじっくり見られると良いなぁ。