触感は善良だ、でも触感のない時代は悪になるのか

デンスケのぬいぐるみ買ったのきっかけに、電脳コイルをDVD借りてきてこの年末年始にかけてキチンと見ました。いや、本当にもっと早く見とくんだったと思った作品です。「拡張現実」という技術が日常の技術として存在する社会という現実感のある世界観。そこに「都市伝説」というなんだかちょっと浮いた感じのエピソードが入ってきて、その違和感がつよくなっていくうちに話は思いも寄らぬ規模に展開し、そしてすべてが収束していくラストは本当に見事です。これ、本放送の時に見てれば良かったなぁ。いや、次の話が気になってしょうがなくてあわあわして日常生活に支障を来してたかも。
語りたい事はいろいろ有るんですが、その中でも一つ、電脳ペットのデンスケが死んでしまう所のエピソードで、「こうして触れるものが、暖かい物が信じられるものなの」っていうヤサコの母のセリフが出てくるんですが、それを聞いて思い出したのが「まるいち的風景」に出てくる有里君のセリフ「手触りとか皮膚感覚って正直で案外善良だなって思うんです」。近未来の社会を扱ったSF同士、対照的な感じがしました。
人間って割と身体的な物が思考の元にあって、そこから倫理とか生まれてきたりしてるんでしょうかね。でも、触感が無い、あるいは触感を超えたところで動くシステムというのは現実にたくさん有って(っていうか、機械を使うというのはある意味すべてそういう事なわけで)、それは別に電脳メガネのあるような高度に情報化が発達した時代の話では無いんですよね。今までも形を変えて直面してきた問題であり、乗り越えてきた問題である、と。
その上で、やっぱり身体的なものというのはまるいちで語られているような強固な防波堤として存在し続けるだろうし、システムを作る上で考慮すべき事であると思うんですけど、じゃあ触感の外は悪なのかという問いかけに電脳コイルはきっちりとNoを示していたように思えます。