「ドボク」を見いだす視点

6月15日に武蔵野美術大学オープンキャンパス公開講座として開かれた「ドボク・サミット−工場・ダム・団地・鉄塔・JCT・水門・・・リサーチ・エンタテインメントの可能性−」に行ってきた。で、イベントレポート書こう書こうと思ってるうちに1週間経過してしまい、おそらく僕が書くより絶対ちゃんとしているレポートを他の方が書いていられるので、とりあえずリンクをご紹介してそこはお茶を濁しちゃう。

ドボク・サミット雑感 - はちまドボク
ドボク・サミットに行ってきた - 日毎に敵と懶惰に戦う

それで、ドボク・サミット以来ぼんやり考えていることをちょっと書いてみる。
今回、「工場」「ダム」「団地」「鉄塔」「ジャンクション」「水門」を「ドボク」的な物としてまとめて取り上げられていた。だけど、そのアプローチというのは異なる点があり、それが構造物の置かれている状況によるものから来ているんじゃないかみたいな気がするのだ。

「団地」へのアプローチの仕方として紹介されていた大山さんの頑なとも思える姿勢について正直戸惑った。それはどこから来ているのだろうか、そしてそれは「ダム」でも言える事なのか。
で、考えてみるに、それは構造物の形状が世間の常識として認知されているか、という点に寄る物が大きいような気がしてきたのだ。
ダムで出演された萩原さんが最近取り組んでいる「標準的なダム」というネタがある。ダムの形状がいかに世の中に認知されていないかという事が良くわかる興味深い話だと思うけど、じゃあ、これを他の構造物で行った場合にたしてそれは成立するだろうか。あくまで僕の勘だけど、おそらく「団地」や「鉄塔」でおこなった場合、誰もがそれと分かる(しかも似たようなパターン化された)絵を描く事が出来てしまって「ダム」のようなネタとしては成り立たないような気がする。
「ドボク」の対象となるものというのはどれも日常的に認知されにくい物と言えるだろう。それをいかにして見えるようにするかというところが、「ドボク」な対象を語る上での方法として大きな部分を占めるんじゃないかと思う。「団地」や「鉄塔」場合、前述のイメージを乗り越えないと始まらなくて、その為の手段として大山さんの姿勢やの長谷川さんが語り倒した「見立て」の表現があるんじゃないかというように思える。逆に「ダム」の場合はそれが無いから、そういった手法にはあまり向わなかったのではないかという気がする。
今回は「ジャンクション」も大山さんが語ったのだが、そのプレゼンの冒頭で、「以前からジャンクションマニアは存在していたけど、それは衛星写真などで上空から見た様子を楽しむ事が中心だった。でも、それは誰も見た事の無い物だから面白いのは当然だ」と前置いて、ジャンクションは下から見るもの、そして、多くの人が目にしているはずの「箱崎ジャンクション」の話へと続いた。それは「団地」に長年取り組んできたからこその姿勢なんだと思う。
あとで、もうちょっと書く。あと、タイトル微妙に違う。