そして女子高生はケータイ小説に涙し、ヲタはニコニコ動画で草を生やした

クローズアップ現代「手軽な文学? ケータイ小説」を見た。
膨大な人数の受け側がいて、その感想がフィードバックされやすいシステムがあって、それがモチベーションになって創作活動がおこなわれているっていう構造は非常に似ているなという感じがした。その集団の技術とかリテラシーのレベルによってたまたま「ケータイ小説」になって「ニコ動」になっているっていうことなのかもしれない。
だから、番組後半の文体がどうとか言文一致がどうっていうのはそのシステムを構成している要素からそれとなしに出来上がってきたことで、それは、「ニコニコ動画」がなんで「アイマス」で「初音ミク」なのかみたいな、それ自体はそれほど本質的なことじゃないような気がした。
ただ、それが「型」になることはありえるだろうけど。