キャラクターを定義するもの

 「のまネコ」も「米酒」の図形商標の出願取り下げで一区切りついたという所だろうか。
 どっかのまとめサイトに「『のまネコ』はいわば落語のような物だ」という例えが掲載されていたが、なるほどなぁと考えさせられる物がある。落語に登場する人物の設定(あるいは噺自体もしかりだが)はそれ以前に作られた落語の噺によって創られてきたものの集積であり、誰かが「こうだぞっ」て定義したものをみんなで使っているわけではない(ひょっとしたら大元までたどることが出来て、これに従ってるんだぞっていう物が有るのかもしれないが、少なくとも落語を楽しんでる人はそんなことを知らなくても与太郎がどんなキャラなのかっていうのは、感覚的に理解できるだろう)。
 AAのキャラもしかりで図像としてのキャラという側面以外に、それが使われる事によって(それは今回のマイヤヒのようなFlashで有るだろうし、AA関係の板で繰り広げられているようなAAで創られた物語であるだろうし、あるいは2ちゃんねるのどこでも繰り広げられているような単なる煽り合いでもあるだろう)生まれてきたキャラクタの設定、いわばアイデンティティーと言えるようなものを背負って今の「モナー」やら「ギコ猫」やらが存在しているといえるだろう。
 今回Avexがやったことは、図像としてのAAのみをかっさらって、ネットで育てられたモナーアイデンティティーをばっさり切り捨てた(正確にはマイアヒFlashで踊る猫というアイデンティティーのみを受けいれた)ということなんじゃないかと思う。2ちゃんの住人がAvexに対して感じる、うまく表現できない何ともいやーな感じというのは、図像の権利を取られた云々ということよりも、モナーに似ているけどバックボーンが違うらしいキャラクターが世の中に出回っているということなんじゃないかと感じる。
 とすれば、Avexから金曜日の声明(今後、マイヤヒCDにFlashムービーはつけません)が出た時点で、たった唯一のアイデンティティを失った「のまネコ」は、キャラクターとしての生命は絶たれたんじゃ無いかと思えてくる。
 いや、それ以前にライセンス契約された企業同士だけしか、手を出すことができない「のまネコ」というキャラクターに未来はあったのかという根本的な疑問すら感じる。(本家「モナー」から上手に「アイデンティティ」を掬い取って生き長らえる、という手はあったかもしれないが、この住人の反発を見たら無理だろうし、実際「おにぎりワショーイ」の絵を掲載したサイトで反発が起きた)。
 キャラクターというのは、ただ可愛い絵を描けばいいという甘い物じゃないはずである。「たれぱんだ」が「好物はすあま」とか「移動速度は2.75km/h」といった妙に細かい設定を抜きにあの絵だけで売れただろうか。「タッチおじさん」や「バザールでござーる」があのCMを抜きにノベルティ用のキャラクターとして成り立っただろうか。がちがちに固めた権利を振りかざすだけがキャラクター事業じゃない、なんてことはキャラクター事業をやる以上わかっていたんじゃ無いかと思うがどうなのだろうか。