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ヱヴァンゲリヲン新劇場版は今期最高の土木(フェチ)映画だ!

やばいですよ。これ。全部分かってて描いてる。つぼを尽く押さえてる。
僕自身、エヴァにはさしたる思いもあんまり無くて、今回の映画版もブログとかニコニコ動画とかまあ、半径ワンクリックの話題で取り残されるとちょっとつまんないなー(最近ポッドキャストで聞き始めたTBSラジオのLIFEで特番するらしいし)、ということで丁度映画の日で1000円だからという理由で公開当日の今日見に行ったんですけど、やばいですよ、これ(ってそれしか言ってない)。
この映画で一番魅力的で官能的に描かれているのは、シンジ君でも綾波レイでもミサトさんでもましてやエヴァンゲリオンや使徒でもなくて、間違いなく土木構造物と電気工作物と建設機械です。ええ、これは断言します。もうこれだけでも見るべき。
冒頭のエヴァ初号機の格納庫から発進して地上に現れるまでの壁面や金属の工作物や機械装置の描写にただならぬものを感じつつ(エヴァを搬送する設備の管理パネルの表示がいわゆるエヴァっぽいオレンジ色のプラズマディスプレイのような配色じゃなくて、うぐいす色の組み付け専用パネルっぽいのなんか、鉄道とかそういう関係の制御パネルっみたいで、土木とか機械関係はやっぱり発注先が違うんだろうなとか、もうなんかニヤニヤするしかないじゃないですか)、格納される第三新東京市の描写とか、インクラインとか索道の搬器みたいな乗り物とか(そういえば、索道は屋外に支柱も立ってたな。スキー場の有るような場所じゃなさそうなのに)、レイのすんでる団地とか、ヤシマ作戦の時に集められた大量の電気設備の描写とか(果てしなく並ぶファン!変圧器!)、大型建設工機とか、エヴァ見に行ったというよりダムめぐりにでも行った気分でした。写真とって見学レポート書きたいよー!(捕まります)。
そんな中でも、一番ぐっと来たのは、エスカレーターに乗ってシンジがレイに叩かれるシーンの背景美術(すいません、ストーリーとかほとんど頭に入ってませんので、ひょっとしたらぶたれてないかもしれない)。もうね、「それ何て丸沼ダム」っていう感じの鉄筋コンクリートの柱が格子状に組み合わされた構造物が4方の壁面を支えてて(用語の知識が無いので○○構造っていえないのがもどかしいし…)思わず、「うわっ」って声をあげてしまってかなりイタイ人してました。恥ずかしい。
ちなみに丸沼ダムはこんな感じ。

でももっと別のモデルがありそう。擁壁で支えるっていう感じじゃないし。
監督の庵野さんが過去に首都圏外郭放水路のイベントにゲスト出演されていたり(このイベントの抽選に外れたのがいまだに悔しい。)、東京ジオサイトプロジェクトでそれらしい感じの人見かけたりしてたので、まあこの手の物が好きらしいという話は知っていたのですが、その全てをこの作品に注いでますね(あるいは趣味に走りまくった)。
スタッフロールに相模川水系広域ダム管理事務所と東京電力がクレジットされていたのでおそらく実際の土木工作物やらなんやらをきちんと取材して一番かっこいいところをきちんとつかんで美術に落とし込んだんだろうなぁ。ミヨリの森の関係者に爪の垢を煎じて飲ませたい。いや、まあどうでもいいですけど。
もう、この美術見たさに続編見に行くのは確定なんですが、出来ましたら同時上映で「相田ケンスケ君のジオフロント大見学会」なんていう美術映像しか出てこない短編映画をやっていただけると、私としては非常に嬉しいのですが…。っていうか、どこに往復はがき出したら見学できます?平日開催だけでも有給とっていきますよ。うわ、2次元になりてー!

ヱヴァンゲリヲン新劇場版が土木「フェチ」映画な理由

前のエントリのタイトルにある、「土木『フェチ』映画」というのは、ふっと感覚的に出てきた言葉なんだけど、何でフェチなのか上手く説明できなくて、でもフェチだよなーという事で括弧をつけてみた。それから考えていくうちに土木映画ではなく何故フェチなのかの理由が整理できてきたので、まとめる意味で書いてみる。
土木映画ではなく土木「フェチ」映画な理由、それは描かれ方の過剰さだ。
僕がダム等ををみて惹かれる点に、「過剰」さというのがある。ダムやゲート大きさなんていうのはまず真っ先にあげられることであるし、それが制御している水やそれによって蓄えられているエネルギーも日常の単位とはかけ離れた過剰な物であるといえる。そう、土木施設というのはもともとある種の過剰さを持っているのだといえるだろう。
それが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版ではさらに過剰に描かれている。ヤシマ作戦のために集められた機材の過剰さ、やたらと密集して建てられている綾波レイの済む団地の過剰さ。前エントリーでグッきたと書いた部屋が一面同じ構造物によって構成されている過剰さ。もともと過剰な物をさらに過剰に描くある種の偏執的な感覚。これがフェチと書きたくなった理由に違いない。
おそらくこの過剰さは、単に監督が「土木構造物が好きだー!」という叫びの表明というわけじゃなくて、エヴァの根底にある論理なんじゃないかと思う。パンフレットを見ると

エヴァ』は初出時から究めて貧欲な作品であった。古今東西の映像文化、科学、SF、軍事、バイオテクノロジー、コンピュータサイエンス、心理学、そして宗教関係にいたるまで、数々の専門用語や引用で武装され、衒学的な雰囲気を醸し出している。

とある。あらゆる物を無暗矢鱈と詰め込んでインフレを起こすハイテンションな世界の中で物語が繰り広げられているのだ。そんな中で、作品のテンションをあげる為の燃料としてこの「過剰な土木構造物達」が存在しているんじゃないか
と、ストーリーもちゃんと理解してないのにもっともらしいことを書いてみたくなって書きました。すいません。
他のブログの感想とか見ると予告に驚いてたりしますが、ごめん、そのへん全然分からない。うわー。
すいません、後で、ちゃんともう一回見ます。